御朱印を頂き始めてから数年がたっていますが、地元で一番有名な神社「八剱八幡神社」では頂いたことがありませんでした。
元号が変わったタイミングで思い切って行ってきました。
と言っても、5月1日の記念御朱印は絶対無理だと思ったので、ゆっくりと参拝が出来る2日の午前中を狙いました。
八剱八幡神社はJR木更津駅の西口からみまち通りを抜けて5分ほどで到着します。
車で行っても駐車場があるので安心です。
ゴールデンウィークの真っただ中なので、普通よりは多めの参拝客でしたが、並ぶことなく一人で参拝出来て、大満足!
八剱八幡神社は、地元では八幡さまと呼ばれていて、お正月だけでなく、七五三の時期も参拝の方が沢山みえます。
かなり古い建物でしたが、平成30年の秋に参集殿が竣工されて、一段と大きな神社になりました。
建物は使用できますが、まだ周りは工事が続いている様子でした。
夏祭りのころには、工事も終わるのかな?といったイメージです。
拝殿は、以前のまま使用されています。
天井は鳳凰などが描かれたとても古いもので、指定文化財に指定されています。
なかなか拝殿の中に入る機会はないですが、参拝の時によく見てみると天井の絵を見ることが出来ると思います。
御朱印は左側のお守りなどを扱っている社務所で頂くことが出来ます。
前日の1日は記念御朱印を求めてかなりの時間並んだ方が多かったようです。
2日になると全く並ばずにいただけました。
今回頂いた御朱印
お祭り
7月第二金曜、土曜、日曜には「関東一の大神輿」と言われる大きなお神輿が町内を練り歩くお祭りがあり、全国から担ぎ手が集まって待ってくるそうです。
現在のお神輿は、嘉永3年(1850)6月創建され、30年に一度大改修が行われて、平成元年が一番最近の改修ということです。
ということは、そろそろ大改修が行われる時期なので、一段ときらびやかになるお神輿が楽しみです。
八剱八幡神社詳細
住所
〒292-0831
千葉県木更津市富士見1丁目6-15
拝観料
無料
通称
八幡さま
御祭神
誉田別命:ほんだわけのみこと(應神天皇)
息長足姫命:おきながたらしひめのみこと(神功皇后)
足仲彦命:たらしなかつひこのみこと(仲哀天皇)
素盞鳴命:すさのおのみこと
日本武尊:やまとたけるのみこと
三社神社
・御嶽神社
・三峰神社
・稲荷神社
祖神社
・屋船久久能知神
・屋船豊受姫神
・手置帆負神
・彦狭知神
由緒
当社の社伝によると往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した。
人皇第12代景行天皇の40年、日本武尊御東征の折り、相模国(神奈川県)より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。そのとき妃橘姫が、「これ尊の相模の地より此の海を望み給ひて、これ小海なり、立跳りにも渡りつべし、とあさみ給ひしに依りて渡津海の神の怒り給ふなり」と海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって御入水あそばれた。そのことにより、尊は無事に此の地にお着きになりましたが、姫の死を悼んでしばらく当社にご滞留になり、此の地を去ることをなさらなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる。
源頼朝鎌倉幕府開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。
天正19年徳川家康公社領3石2斗を寄進せられ、御朱印の証を授与される。慶長19年大阪冬の陣が起こると木更津より多くの船頭が召出されて、向井忠勝、小浜光隆軍のもとで目覚しい働きをした。これも八剱八幡神社の霊験加護のたまものであるとして、特に当社の宮司らを駿府城内に招き、銅鳥1隻と銀子を贈り神恩に感謝した。
宝暦2年に木更津の大火に依り社殿焼失。安永2年に現社殿を再建。寛政9年に社殿修理を加える。大正3年に社殿の大改修をする。また、明治4年には郷社に列せられる。昭和55年の社殿改修に際しては、格天井装飾画(162枚)も復元され、現在は厄除・交通安全・初宮詣・七五三詣・商売繁盛・合格祈願・学業成就等の守護神として鎮座する。